いじめはなくなりません!


 

私には、未だに解決ができない問題があります。

もしも、賢者がいたとします。その人に、

「あなたはすべての事柄に対して、すべてのことを答えることができますか?」

と聞いてしまうと思いますが、おそらくその賢者は、

「私は賢者です。分からぬことなどありません」

と、お答えされるでしょうか。

いじめ

私は、そのようにはお答えにならないように思います。勝手な想像です。

賢者:「私は私自身、分からないということが何なのかを悟った者です。あなたの問いに対して、私はどうお応えすれば、あなたは納得できますか?」

おそらく何かを悟った方は、自身の限界を知っておられる方でしょう。

私の問題に戻します。

それは、私が中学2年生だった時のことです。先生、母親、私で面談が行われる、いわゆる三者面談の場で、先生が私に問うのです。

先生:「君は、この学級に対してどう思う?」

私は答えました。

私:「生徒間のレベルがなく、今までにない過ごしやすいクラスだと思っています」

当時の私の語彙の中に“格差”という言葉がなく、RPGにおける“レベル”で言葉を置き換えたことを今でも鮮明に覚えています。確かに“いじめ” や “差別”が生まれるのは格差があるから起こるのであり、各人がそれを尊重しあい、敬うことにより、その格差は埋まります。と、同時に自己を周囲の人間に合わして(隠して)いることを忘れてはなりません。

そこで、”自己とは何か”ですが、英語でいう“Identity”(個性?)であり、産まれた場所、肌の色、言葉(方言)、髪型、態度や性格に至ります。それをもし、大げさに、また逸脱して主張や表現されるとどうでしょう。おそらく違和感が生まれ、いじめられることになるでしょう。まさに“出る杭は打たれる”のあり、「いじめをなくす」というスローガンは、理想や方便であり、不可能であると私は考えています。では、

「“出る杭”をなくせばいいのでは?」

との問いになります。それはすなわち、個性を失うことになります。

一般に、”空気が読める人は、いじめられない”と言われます。私は、その通りだと思います。

もっと進化させると“空気を読みながら、読めないフリをする人”、そのような人は、あなどれませんよ。なにせ、何か気にさわる攻撃をしてしまうと、数人〜数十人の仲間から総攻撃を受けてしまいかねないのですから。とにかく、“空気を読む”ことの重要性をお伝えさせていただきます。

お話しが少しずれてしまったので戻します。

当時、中2だった私は、どのような人間だったのでしょう。大ざっぱには、成績(学力)ど真ん中、運動部のキャプテン、空気の裏まで読むことができました。いっけん自慢だらけのようですが、そうでもありません。その当時は、つらかったです。“誰に何を、どう伝えるとこうなるだろうから、そうしてはダメ“だとか”先生にはこう言ったらこうなるだろうから、そうしたほうがいい“だとか。。。だからなのでしょう、無駄に横のつながりを広げることを拒み、クラス内にその安定を求めていたのでしょう。私、中1の2学期には、自分がキャプテンになるであろうことを自覚しました。逆にいうと私以外では務まらないであろうことも。。。

何故かそれを感じ、分かるのです。これを読まれた方の中に、同学年でキャプテンや部長を指名された方がどのような経緯で、その後どのような経緯をたどられたか、ご意見をいただきたいところですが、当時の私がキャプテンに選出された方法は、100%顧問の先生の指名です。特に私が先生に媚(こ)びたりはしていませんよ。選出された時には、さすがに思いました。”この顧問、よく雰囲気を感じ取っているなぁ。いうことを聞かなければ“と。

お話しを戻すつもりが余計に反れてしまったようなので、さらに力を込めてお話をもどします。

「いじめは、なくすことが出来得ません!」

いじめは抑えようとすると、さらにアングラ化し、陰湿になります。また、そこに大人が介入することにより、泥沼化します。せいぜい、いじめの対象が変わるか、その度合いを下げることしかできないでしょう。また、いじめの監視を担任や先生に求めることも困難です。教職員になる時に取り交わされる、職務契約書(内規?)にそこまで記されていないでしょうし、そもそも、その他の公務員の方々と比較して、業種や質の追求、量がまったく違います。ここで教育に携わられている方々に対して、提案させていただきたいのは、

“主導力・カリスマ性があり、自浄作用的に大人に頼ることなく、他の生徒達を先導してくれそうな生徒や派閥を見極め、委ねる勇気をもつこと”です。

いわゆる“チクリ”は、生徒達にとって、正義ではあり得ません。主導力を持った生徒は、絶対的に“チクリ”行為による仲間を売るようなことはしません。しかし、相談をしに来た時には、徹底的に介入しましょう。

もう一度言います。

「“いじめをなくす”というのは方便であり、一掃は不可能です」

で、原点に戻ります。

何故、序盤にあった先生は、そのような質問を中2のガキに問うたのでしょうか。それともみんなに聞いていたのでしょうか?その辺りが、未だに分かりません。

現在では、“スクールカースト”という便利な言葉があります。あなたのお子さまや、あなた自身の立場の理解はとても大切なことであり、一概に試験の成績では知り得ません。もし、お困りであればそのお手伝いをさせていただきますよ。

もし、”いじめ”をなくすことができていたのであれば、差別、紛争や戦争も起こらないはずですよね。

 


 

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